九州大学を中心とするチームが島根県松江市美保関沖の海底で撮影した構造物が、93年前に沈没した旧日本海軍の駆逐艦『蕨(わらび)』と判明しました。今回の調査のきっかけは、地元の大学生・大原圭太郎さんの働き掛けでした。大原さんは地元の歴史について調べるうちに、119人もの命が失われた事故のことを知りました。
島根大学2年・大原圭太郎さん:「(蕨が)90年間、海底に居続けて、どういう様子だったか今の映像から想像すると」
1927年当時、旧日本軍の演習中に4隻が立て続けに衝突。『美保関事件』と呼ばれ、「海軍創始以来の大惨禍」と報じられました。事故当日、集まった連合艦隊63隻。奇襲攻撃のために行われた演習で、急に進行方向を変えた軽巡洋艦『神通(じんつう)』が蕨に衝突。蕨は真っ二つになり、沈没しました。地元の漁師の間では、その時の様子が語り継がれています。
漁師・木村二郎さん(82):「漁に出た時に船が燃え上がっているのを発見した。真っ赤になって火が燃えて、昼みたいだったと言われていた」
背景にあるのは、1922年に結ばれたワシントン海軍軍縮条約です。米・英・日の軍事力が5・5・3と取り決められ、日本は軍事力を縮小せざるを得ませんでした。その劣勢を訓練で補おうとしていました。

40年以上慰霊を続けてきた元海軍の松下薫さんは、今回の水中調査を心待ちにしていました。
『美保関事件慰霊の会』松下薫さん:「(軍事力で)日本は到底、アメリカにかなわない。それで猛訓練を行ったんです。夜間、無灯火ですよ。起こるべくして、事故は起こりました」

蕨は事故後、行方がわからなくなっていましたが、地元の漁師から“軍艦”と呼ばれる漁礁で発見されました。
島根大学2年・大原圭太郎さん:「90年以上、色々な人が忘れずに語り継いで慰霊顕彰を続けてこられた。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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