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ビーチバレー(英語: beach volleyball )は、バレーボールから派生した球技の1つである。
砂浜にネットを張ったコートで、2人1組のチーム同士で対戦する。アメリカ発祥のビーチスポーツで、1996年のアトランタオリンピックよりオリンピックの正式種目となった。
歴史
ビーチバレーボールは1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である。ビーチバレーの発祥については、国際オリンピック委員会は1920年代はじめ、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカのビーチレジャーとして始まったという説を採用している。これに対し、それより前の1915年にハワイ、ホノルルのアウトリガーカヌークラブ(Outrigger Canoe Club)でビーチバレーが誕生したという説もある。アウトリガーカヌークラブのメンバーに対して行われた1978年のインタビューでは、メンバーであったジョージ・デイヴィッド・「ダッド」・センターがネットをビーチに立てて、最初のビーチバレーボールのゲームが行われた。これによると、同クラブに所属していたデューク・カハナモクがビーチバレーの西海岸での発展にも寄与したとされている。
その後、ヨーロッパに伝えられ、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。草創期には6人制で行なわれていたが、1930年にはダブルスで競技した記録が残っている。1950年代のアメリカでは美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部としてビーチバレーがマスメディアの注目を集めた。
1960年、カリフォルニア州で第1回マンハッタン・ビーチ・オープンが開催された。この時期にフランスでもプロ・トーナメントが開催されている。競技団体の整備は1980年代に進み、1983年にはアメリカでプロ選手らが自ら運営する団体、AVP(Association of Volleyball Professionals)が発足した[注 2]。1987年、国際バレーボール連盟(FIVB)公認の初の国際トーナメント大会がブラジル、リオデジャネイロのイパネマ・ビーチで開催され、これが第1回の世界選手権大会とされている。さらにFIVBは1990年、世界各地を転戦する国際サーキットを開始した。
1992年バルセロナオリンピック開催期間中には、スペインのアルメリアで5大陸から100人以上の選手が参加し、公開競技が行なわれた。これらの盛り上がりを受けて、1996年アトランタオリンピックでは夏季オリンピックの正式種目となった。
アメリカ、ブラジル、オーストラリアの3か国が強豪国として知られる。著名なビーチバレー選手には室内のバレーボールから転向したプレーヤーが多い。アメリカのカーチ・キライ、シンジン・スミス、ランディ・ストクロスらの活躍はアメリカ国内のみならず国際的なビーチバレー人気を高める原動力となった。ブラジルからもエマヌエル・レゴやリカルド・サントスらのスター選手が登場した。女子選手ではミスティ・メイトレーナーやケリー・ウォルシュらがおもな選手として挙げられる。
日本における概要
2006年のマーメイドカップ
日本では川合俊一らが先駆となり、1987年、湘南・鵠沼海岸で第1回ビーチバレージャパンが開催されたのをきっかけに、ビーチバレーが広く認知されるようになった。1989年には、日本バレーボール協会が日本ビーチバレー連盟(JBV)を発足させている。
当初は室内の選手がシーズンオフとなる夏場に調整を兼ねて競技に参加していた(川合も当時は富士フイルムの選手だった)が、次第にビーチ専門の選手も増加の一途を辿っている。オリンピックには女子がアトランタ大会以降連続出場しており、アトランタオリンピックでは高橋有紀子・藤田幸子組が5位、2000年シドニーオリンピックでは高橋有紀子・佐伯美香組が4位に入賞している。2002年、西村晃一と浦田聖子は日本初のビーチバレーのプロチーム、ウィンズを設立した。2004年にビーチバレーに転向した浅尾美和は、モデルなどの活動を通してこれまでビーチバレーに関心の低かった層からも大きな注目を集めている。
近年は、室内とビーチの相互交流によって一体的に強化を図るのが世界の流れとなっており、ビーチから室内に替わってオリンピックのメダルを獲得した事例も出てきている。日本でも近年、先述の川合がそうした海外の状況を踏まえて室内選手の獲得に動いているものの、固定観念に縛られ、戦力低下を恐れる室内側が強硬に反対しており、現時点では菅山かおるのように室内代表を外れた選手などが自主的に転向するにとどまっており、世界的に見ても格段に後れを取っている。2012年ロンドンオリンピックで女子が初めて出場権を失い、2016年リオデジャネイロオリンピックでは男女とも出場できなかった。
2013年に初めて強化指定選手を公募。男子17名・女子21名の応募があり、最終選考会には男子8名・女子5名が残り、フィジカルテスト(11月15・16日)、スキルテスト(17日)を行った。同月下旬に男女各2名という予定通り、長谷川徳海・上場雄也、草野歩・藤井桜子に決定した。
KUROBEアクアフェアリーズ(クロベ アクアフェアリーズ、KUROBE AQUA FAIRIES)は、富山県黒部市を本拠地とする、女子バレーボールクラブチームである。2021-22シーズンはV.LEAGUE DIVISION1(V1リーグ)に所属。
概要
1998年3月、第55回国民体育大会(富山国体)のための強化チームとして富山県黒部市に発足し、現在に至るまで活動を継続している女子バレーボールチーム。
チーム名の『アクアフェアリーズ』は、名水の里『黒部』で生まれた『水の妖精たち』に因んで名付けられた[2]。チームマスコットの名前は「アキュ」。
地域のクラブチームとして複数のスポンサーから支援を受けて運営されており、選手・スタッフはオフィシャルスポンサー企業に雇用されている。休日以外は基本的に、午前中に配属された企業で労働し、午後から練習に参加する形でバレーボールに取り組んでいる。
主な練習場はチーム所在地でもある「黒部市総合体育センター」。ホームゲームはこの場所の他、「YKK体育館」、「富山県西部体育センター」でも開催される。
ジュニアチームの「アクアジュニア」が活動している。
個人向けファンクラブ、協賛企業向けパートナークラブも設立されている。
鈴木 千代(すずき ちよ、女性、1993年11月18日 – )は、日本のバレーボール選手。ニックネームはチヨで、シャツネームはSUZUKI。V.LEAGUE Division1のKUROBEアクアフェアリーズに所属している
来歴
東京都江戸川区出身。2008年、共栄学園中学在校中からビーチバレージュニア代表候補生となり、高橋有紀子監督が継続して強化を図ってきた選手の一人である。
2011年の世界選手権U-21大会では、日本人ペアとして史上初の勝利をあげ9位。2013年5月のアジアビーチツアーU-21大会では、日本人ペア初の銀メダルを獲得した。
2013年はベテランの浦田景子とペアを組みJBVツアーに参戦している。
2015年6月に開催されたJVAビーチバレーボールシリーズA南あわじ大会で石坪聖野とのペアで準優勝を果たした。
2016年3月、日本オリンピック委員会(JOC)による就職支援制度「アスナビ」で、IT関連企業のクロス・ヘッドに4月1日付で入社することが決まった。
所属チーム
江戸川区立上小岩小学校(小岩クラブ)
共栄学園中学校
共栄学園高等学校
産業能率大学[1]
KUROBEアクアフェアリーズ #18(2021年-)
球歴
ビーチ
2009年7月 U-17アジアユースゲームビーチバレー大会:5位
2011年8月 U-21ワールドツアーチャンピオンシップ:9位
2012年9月 ユニバーシアード世界大会:25位
2013年4月 AVCアジアツアー:3位
2013年7月 U-21アジア大会:2位
2015年8月 JBVビーチバレー東京オープン:優勝
2019年 日本代表
2020年 日本代表
インドア
春の高校バレー:3位
インターハイ:ベスト8
受賞歴
インターハイ:優秀選手賞
出演
YouTube
KUROBEアクアフェアリーズ
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