舘ひろし(たちひろし)
 大学在学中「イージーライダー」を見てバイクに憧れたことから、原宿でオートバイチーム「クールス」を結成。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名になる。
 バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉作曲)でデビュー。また、当時の東映社長・岡田茂に誘われ、『東映俳優センター』に所属、俳優としてのキャリアもスタートさせる。
 1976年『暴力教室』で銀幕デビューを果たし、バイクを乗り回す不良生徒役で、主演の松田優作と殴り合う姿は鮮烈な印象を残した。同作を観た岡田茂東映社長が、舘の売り出しを指示し、同年『男組 少年刑務所』で映画初主演した。
 これらの映画は暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなった。
 のちに石原プロモーションに入ったきっかけは、石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。渡には『西部警察』放映時の頃から気に入られており、同番組の地方ロケで宿泊したホテルでの飲み会で、他の皆が御開きにした後も渡に勧められるままに、明け方まで一緒に杯を交わしたという。

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