1947年(昭和22年)に東宝ニューフェイス第1期生として入社し『銀嶺の果て』で映画デビュー。
国際的なスターとなり、日本では世界のミフネ、英語圏では、The WolfやThe Shogunなどと呼ばれる。
「三船無くして黒澤無し」と言われるほど黒澤作品には欠かせない存在であり、当時のインタビューで「三船がいなくなったらどうなる?」という質問に対し、「僕はもう映画が撮れなくなるかもしれない」と答えている。
三船はトップスターながら偉ぶらず、付き人もなしで、自分で車を運転して撮影所に現れて、誰に対しても気取らずに親しんで挨拶をした。エキストラにも挨拶をするので、スタッフがあわてたという。
三船は映画に対する姿勢は、非常に真面目かつ真剣であり、撮影現場に遅刻したことが一度もなかったという。
スタッフの荷物運びや、ロケ終わりの後片付けを手伝うなど気さくな性格でもあった。ある時、ロケ隊において皆に混じって荷物の整理を手伝う三船に、「あんたはそういう事しちゃ駄目よ、スターなんだから」と言われるも、三船は「だって俺、手空いてるもん?」と言ってせっせと作業を続けたという。ある海外の記者も、「彼(三船)の個性からにじみ出る簡素な自然の心で、暖かくありのままに人と同じ目線で駆け引きなしで接した。将軍(三船)から発せられるオーラにより、会って数分で人はだれでも彼のことを好きになってしまう。私とも昔からの友人かの如く話をしてくれた。」と三船の気さくさを書いている。『黒部の太陽』では、撮影中にNGを出した翌日はスタジオの掃除を行うなどスタッフの手伝いをしていたが、「すみません」とは言うことはなかった。
黒澤映画の撮影では、長時間たくさんのライトにさらされることがある。ライトの熱で着物が焦げ、煙が出ることもあったが、三船はそれでも微動だにせず待機していたという。このように、どの現場でも待つことを嫌がらず、苦情もまったく言わず、スタッフにプレッシャーがかからないようにしていた。このように、周囲への心遣いを忘れない繊細さも多分に持ち合わせていた。
“世界のミフネ”となり世界中を行き来するようになっても、特別扱いを嫌って、付き人もつけずに飛行機に乗った。
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