70歳を超えて書くことを続ける作家・沢木耕太郎さん(75)に大越キャスターが話を聞きました。

累計600万部を超える代表作『深夜特急』をはじめ、数々の賞を受賞するノンフィクションの巨匠。沢木さんが60代で挑んだ小説『春に散る』が、沢木作品として、初めて映画化されました。年老いた元ボクサーたちが共同生活をし、若手ボクサーを指導するなかで、人生を見つめる物語です。

大越キャスター:「『春に散る』を読ませていただいて、ボクサーとしての生命であるとか、衰えていくと人が放つ輝き、強さや精神性とか、そこに沢木さんが魅入られているのかなと」
沢木耕太郎さん:「スポーツマンって上り調子のときがあり、もしかしたら頂点というのがあって、そこから下降していく。下降していくときに、最もさまざまなドラマチックなことも起きますよね。人間的なものもそこで表れる、そういう意味で、スポーツのなかでもボクシングは、見事なくらいに山があり谷がある側面を見せてくれる」
大越キャスター:「ボクシングというのは、沢木さんにとって特別なものですか」
沢木耕太郎さん:「特別なものです。例えば、物語として、今回のWBCも大谷くんの物語を超える野球の物語は、少なくとも僕が死ぬまで、もう二度とあれだけ完璧な物語は見られない。それに拮抗する物語ができる可能性があるとすれば、スケールが小さく見えるかもしれないけど、ボクシングにあるかもしれない」

30代のころに発表した代表作『一瞬の夏』では、ボクサーとしての晩年を、そして、60代で発表した『春に散る』では、元ボクサーの老後を描いてきました。どちらにも共通するテーマは“晩年を生きる美学”でした。

沢木さんは『春に散る』のあとがきで、こう語っています。
沢木耕太郎さん(文庫版あとがき):「私が…描きたかったのは…“生き方”ではなかったような気がする。見事な“生き方”でもなく、鮮やかな“死に方”でもない。そのような言葉があるのかどうか定かではないが、あえていえば“在り方”だった」

大越キャスター:「人生だんだん僕らは衰えていくわけで、この老いというか、晩年というものにどう向き合っていくのか」
沢木耕太郎さん:「人生はなだらかな終わりに向かっての日々が続く。生き方というのは、ある目的のために、そのときを我慢しながら、その方向に向かっていくことになります。でも70歳になったら、目的に向かって、生き方というレールを自分で設定して、そこに向かっていく必要はない。『こんな風な人生』『こんな風にしておきたい』とか、『こういう風な人生で最期を迎えたい』とか、そういうのは、もういいと」
大越キャスター:「『どう死のうか』死に方を考えることも、いまの自分を窮屈にしてしまうといことなのでしょうか」
沢木耕太郎さん:「フリーランスの職業の人間としては信じられないかもしれないけれど、本当にいい加減で、何も決めていない。きょう、ここで大越さんとお会いして、あと年内に2つか3つ約束があるだけ。一日一日の日々をわりと満足して過ごしている。その集積の向こう側に死があるとすれば、それは少々いきがっていると思われるかもしれないけども、それは明日でも、あまり文句は言わない。『いま、これでいい』と思っている瞬間をできるだけ経験して連ねていけば、それがあるとき『終わりですよ』って言われたときに『はい』と言うだけだ」

「いつまで働くのか。」「孤独や病とどう向き合うのか。」“人生100年時代”を、どう見つめているのでしょうか。

大越キャスター:「年齢を重ねるほど、いろいろなものを失うことでもあるじゃないですか。老境に入っていくときに、その辛さみたいなものと、どう折り合いをつけていくのでしょうか」
沢木耕太郎さん:「自分に一生、楽しめることが、1個、見つかっていれば、さまざまなものを失っていくだろうけど、その1個だけ失わなければ、耐えられると思う。僕にとっては『読むこと』と『書くこと』が最後に残ったんだと思う。それがあれば、友人を失い、僕の肉体的な能力を少しずつ失っていっても支えられる」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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